創立者:大河内一郎先生

 

北・北海道で初の肢体不自由児施設-
戦後の肢体不自由児施設の設立順

1950年(財団法人) 多摩緑成会整育園
1950年(民立民営) 群馬整肢療護園
1951年(厚生省委託)整肢療護園
1952年(府立民営) 大阪整肢学院
1952年(民立民営) 福島整肢療護園(東北・北海道で初の肢体不自由児施設)
1952年(県立県営) 愛媛整肢療護園
1953年(県立県営) 広島県立身障者リハセンター若草園
1954年(県立県営) 長崎県立整肢療護園
1955年(県立県営) 鳥取県立皆生小児療育センター
1955年(民立民営) 東大寺整肢学園
1955年(県立県営) 熊本県立こども総合療育センター
1955年(県立県営) 宮城県整肢拓桃園

戦後間もない混乱の中、肢体不自由児への療育の理念も確立されていない黎明期に設立された施設であると言えます。

-昭和27年10月12日、福島整肢療護園開園式を行った。苦難の歩みであったが、ようやく開設にたどりつくことができた。
来賓を前に,式辞をのべる私の胸中は、こみあげてくる感動に、何回も絶句して語りつづけなければならなかった。
電灯のための電柱46本にも、井戸堀りにも、電話1本にも、私たち夫婦の血のにじむような資金繰りの果ての思いが秘められていた。

大河内一郎著「光の丘の子どもたち」より


沿革】

1952年 福島整肢療護園設立。
1954年 病院開設の認可を受ける。
1993年 重症心身障害児施設(定員40名)を併設。
1995年 心身障害児(者)地域療育拠点事業(地域療育等支援事業)を委託される。
2000年 重症心身障害児通園事業(B)を開始。
2006年 肢体不自由児施設・重症心身障害児施設に契約制度が導入される。
2012年 法改正により、肢体不自由児施設は医療型障害児入所施設に、
重症心身障害児施設は医療型障害児入所施設・療養介護事業所にそれぞれ移行した。
2015年 施設の定員見直しを行う。
医療型障害児入所施設52名
医療型障害児入所施設・療養介護事業所40名

医療型障害児入所施設60名
療養介護事業所60名
2015年 病床数の見直しを行う。(98床から60床へ)